魔法はとけない

まだ見たい景色があるんだ その笑顔と一緒に

#わたしの転機

大学生の頃の私は、まるで人生を舐めていた。就職活動もそれなりにし、内定も一社いただいたにも関わらず、新卒で就職する道を選ばなかった。働きたいと思えなかった。当時お付き合いをしていた人とそのうち結婚したらいい、必死に働く必要なんてない、と本気で思っていた。両親も健在で、甘えてしまえる環境だったことも大きいと思う。

 

それからはアルバイトを何個かしてみたり、資格の勉強をしてみたりもした。その間に大学生の頃にお付き合いをしていた方とも別れ、そろそろ働かないとな、なんてぼんやりと考えるようになった。

 

大学を卒業して1年ちょっと経った頃、今の会社で働き出した。アパレルの販売の仕事なのだが、最初はフルタイムのアルバイトとして働き出した。私はこの会社に入れたことを、本当に人生における一番のラッキーだったと思っている。最初に配属された店舗が、とても居心地の良い店舗だった。店長は優しく親身で、私の良いところをたくさん見つけて、引き出してくださった。先輩方も気さくで、仕事以外にもプライベートの相談をしたり、趣味の話をしたり、本当に楽しく働かせてもらった。販売の仕事も、意外と自分に合っていることがわかった。売上の予算が高ければ燃えるし、忙しいときほど頑張れてしまうタイプだということがわかった。自分の接客でお客様が満足してくださることが嬉しかった。私を目当てに来てくださるお客様がいることがとても嬉しく、その関わりは私のやりがいそのものだった。

 

働き出して1年経った頃、店長やマネージャーから「そろそろ社員に切り替えてはどうか」という話をいただいた。だけど私はそれを断っていた。まだどこか自分が腰を据えて働くことに、決心がついていなかった。責任が増えることが嫌だったのかもしれない。楽しい仕事が楽しくなくなることが嫌だったのかもしれない。それに、私が社員かアルバイトかはお客様には関係がない。どんな立場であっても私がお客様に対してやることは変わらない。だからこのままでいいと思っていた。もちろんそれは本心だ。でもそのどれもが言い訳で、ただただ私は甘かった。いつまでも子どもみたいに、いつか結婚をして誰かに幸せにしてもらうことを信じていた。そして今はそれまでの繋ぎの時間であるように思っていたのだと思う。

 

そんな時、父の癌が発覚した。肺癌のステージ3だった。もう手術はできなかった。

 

私は幼い頃から、父が大好きだった。今でも父はこの世で一番かっこいいと思っている。物知りで知的好奇心が旺盛な人だった。私の映画好きも本好きも父譲りだ。中学生の頃、毎週のように父と二人で映画を観に行った。たくさんのことを教えてくれた。私が慣れない場所に行くときは、車で送り迎えをしてくれた。本当に優しくて愛情深い人だった。たくさんご飯を食べて、たくさんお酒を飲む人だった。お酒を飲むと上機嫌になって娘たちにハグをしてきた。可愛らしくて、お茶目な人だった。それでも仕事に対しては厳しく真面目な人だった。本当に働き者だった。私は父の全てを尊敬していた。

 

父の癌がわかったとき、私はもう生きていけないと思った。父が死んだら一緒に死のうと思った。父のそばにいるために、仕事も辞めようと思った。

 

父と母と並んで癌の宣告を受けた。涙が止まらなかった。そのとき、泣いてばかりの私を抱きしめて父はこう言った。「アーちゃんはお父さんの宝やからな」と。あのとき一番泣きたかったはずの父が、涙も見せずにこう言ったこと。私はこのことだけは、これから何があっても絶対に忘れてはいけないと思っている。

 

父の看病をしながら働く日々が始まった。シフトを全部遅番にしてもらい、父のお見舞いに行ってから仕事に行くようにした。体力的にキツイこともあったけれど、父が笑顔で待っててくれることが私の力になっていた。

 

父は本当に立派だった。泣き言や愚痴も言わず、同室の人と仲良くお喋りをしたり、看護婦さんを笑わせたりしていた。お医者様の言うことはよく聞いたし、常に敬意を払って接していた。母を始めとした私たち家族にも、感謝をしっかりと伝えてくれていた。最期の瞬間まで父は父を貫き通した。そしてその立派な姿を見ながら、私はこの人の宝として相応しい人間なのか?と考えるようになった。

 

私はこの人に恥じない人間になりたい。この人の宝として胸を張れるようになりたい。そして、私はこの会社で社員として働くことに決めた。

 

アルバイトがいけないなんて、これっぽっちも思わない。社員だから立派だとか偉いだなんて、全くもって思っていない。ただ少しは父を安心させられるのではないかと思っただけのことである。そして父は喜んでくれた。本当に安心したように笑ってくれた。幼い頃から父に心配ばかりかけていた私が、初めて父を安心させることができた。少しだけ大人になれた気がした。私の大きな転機だった。

 

それから半年も経たずして、父は61歳で亡くなった。悲しくて苦しくて、自分の一部がもぎ取られるような気分だった。どれだけ泣いても涙が出た。それでも私は5日間お休みをいただき、すぐに店頭業務に復帰した。店頭に立つと止まらなかった涙が止まった。仕事が私を苦しみから救ってくれた。どん底の私を仕事が支えてくれた。

 

父が亡くなってもうすぐ2年半が経つ。私は当時働いていたお店を異動になった。今の店舗では副店長をしている。責任は確かに重い。だけど昔では感じられなかったやりがいを感じている。もっと良い店にしたい、売上ももっと上げたい、そして後輩たちにイキイキと働いてほしい。悩みは尽きない。愚痴も絶えない。それでも私はこの仕事が好きだ。あの時覚悟を決めたこと、覚悟を決めたからこそ見えるようになった景色、責任と共に自分に与えられたやりがいが、今の私を支えてくれている。そして何より、私には父と同じ働き者の血が流れている。苦しくても怖くても周りを照らし続けた、太陽のような父の血が流れている。だから、大丈夫だと心から信じることができる。

 

結局私は、亡くなった後も父に教えられ、支えられている。あのとき、ただ父を喜ばせたいと思ったこと。それが今の私を作っている。そしてそれは私が働く上での指針にもなっている。「目の前にいる人を喜ばせる」その先にあるものがまた私にとって、新たなステップに進む転機となるような出来事であればいいなと思っている。