魔法はとけない

まだ見たい景色があるんだ その笑顔と一緒に

2019年現場総括

2019年の現場を納めた。2019年を振り返ると、あれもこれも今年やったんか!と驚くほど、いろいろなことがあった一年だった。Snow Manが9人になったり、ジャニーさんが亡くなったり、関ジャニ∞が5人になったり、一年っていろんなことがあるねぇ。すごい。

 

今年もたくさんの現場に足を運び、たくさんの楽しい時間を過ごした。ヲタクをしていると楽しいことだけじゃなく、なんだかもやもやっとしてしまうこともあるし、うまく飲み込めないことも多々ある。それでも現場に行くとそんなことは全部忘れるし、本当のことはステージにしかないなと実感する。命をかけて、心を尽くしてステージに立ってくれていることに、いつまでも感謝を忘れずにいたい。

 

2019年の現場振り返るよーー!!!!(唐突)

 

2/12 滝沢歌舞伎ZERO@南座

3/15 Endless SHOCK 2019@帝国劇場

3/25 Snow Man LIVE 2019〜雪 Man in the Show〜@横浜アリーナ

3/29 Sexy Zone LIVE TOUR 2019 PAGES@大阪城ホール

4/6 トリッパー遊園地@大阪松竹座

4/26 ハル@梅田芸術劇場メインホール

5/14 滝沢歌舞伎ZERO@新橋演舞場

5/25 ジャニーズIsLAND Festival@さいたまスーパーアリーナ

6/5 サムライ•魂-赤と黒-@COOL JAPAN PARK OSAKA TTホール

6/15 BACK BEAT@兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール

6/21 デルフィニア戦記獅子王と妃将軍〜@東京ドームシティシアターGロッソ

7/23 SHOW BOY@シアタークリエ

7/28 十五祭@京セラドーム大阪

8/3 SHOW BOY@名古屋市公会堂大ホール

8/3 SHOW BOY@名古屋市公会堂大ホール

8/17 KAT-TUN LIVE TOUR 2019 IGNITE@大阪城ホール

8/22 Summer Paradise 2019(Travis Japan)@TOKYO DOME CITY HALL

8/23 Summer Paradise 2019(Snow Man)@TOKYO DOME CITY HALL

9/13 Endless SHOCK 2019@梅田芸術劇場メインホール

9/19 THE CIRCUS!-episode final-@森ノ宮ピロティホール

9/24 Endless SHOCK 2019@梅田芸術劇場メインホール

9/25 少年たち@日生劇場

10/19 トムとジェリー 夢よもう一度@COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール

11/18 Winter Paradise 2019〜ふゆパラ〜(ふぉ〜ゆ〜)@東京グローブ座

11/19 Winter Paradise 2019〜ふゆパラ〜(ふぉ〜ゆ〜)@東京グローブ座

11/19 Winter Paradise 2019〜ふゆパラ〜(ふぉ〜ゆ〜)@東京グローブ座

11/20 虎者-NINJAPAN-@南座

11/23 放課後の厨房男子リターンマッチは恋の味篇@松下IMPホール

11/24 放課後の厨房男子リターンマッチは恋の味篇@松下IMPホール

12/21 ENTA!2@Zepp Namba

12/22 ENTA!2@Zepp Namba

12/22 ENTA!2@Zepp Namba

 

以上32公演である。日帰り遠征8回、宿泊遠征2回。相当にクレイジーである。だけど一つたりとも行かなくても良かった現場なんてない。全部に思い出があるし、全部楽しかったし、全部が私を作った要素になっている。

 

現場にしかないパワーだったり、生身の人間から感じる熱は、いつも私に力を与えてくれる。そこに立っている人たちが、とんでもない努力をしてそこに立っているとわかってるから。私もきちんと自分のステージで、精一杯のパフォーマンスをしないといけないと、襟を正される思いなのだ。

 

何が一番楽しかったかなぁ。自分のお誕生日に越岡さんの舞台を観に行けたことも嬉しかったし、SHOW BOYは多分今まで観た舞台で一番好きやし、ENTA!も最高におしゃれでクールだったけど、やっぱりふゆパラが一番かなぁ。コンサートができたこと、楽しそうに踊る4人を見れたこと、ほんとに嬉しかったなぁ。またきっと来年も!直談判の鬼。

 

もう若くもないからすぐに体調を壊すし、休みのやりくりもなかなか難しいので、来年はちょっと減らしたいなとは思っているけど(特に遠征)、きっと無理なんだろうなとも思っている。だってこの目で見たいんだもの。貪欲なヲタク。

 

しかしこれを見たらわかるけれど、ふぉ〜ゆ〜の皆さん下半期怒涛すぎ。ヲタクついていくのに必死。でもどれだけ忙しくても(なんせ令和のピンクレディー)、一度たりとも中途半端なものは見せなかった。少なくても私の目に映ったものは全部最高に楽しくて、エンターテイナーとしての意地とプライドを感じた。かっこよすぎるぜ我が軍。一生ついていきます。

 

 

ありがとう、大好きだよ

覚悟はしていた。だから自分でも驚くほど冷静に事実を受け止めていた。私の0番が、関ジャニ∞を脱退した。

 

理由はわからない。亮ちゃんだけがどうということではなく、辞めたいとか辞めたくないとかではなく、ただ目指す場所が、見ている方向がずれてきたということなんだろうなとは思っているけれど、それが正解かどうかもわからない。本当のことなんて一生わからないんだと思う。別にそれでいいと思っている。理由がわからないと納得できないと言う人もいるけれど、私は理由がわかったって納得はできない。したいとも思わない。初めから諦めている。納得なんて、できるわけがない。

 

関ジャニ∞を結成し、デビューし、今に至るまでの亮ちゃんをずっと見ていた。走り続ける亮ちゃんを見てきた。止まるなと言えるわけがない。どれだけの情熱で、どれだけの忍耐で、どれだけの愛情で走り続けてきたか。それを思うと、もういいよ、と言いたくなる。ありがとう、もういいよ、休んでいいよ。私にはそれ以外言えない。

 

錦戸亮というアイドルをよく知っている。ファンが喜ぶような優しい言葉をくれるようなアイドルではない。すぐ週刊誌に載る。それでも亮ちゃんはファンを大切に思ってくれていた。だって私はステージで手を抜いた亮ちゃんを見たことがない。長い間、もう何度も亮ちゃんのステージを見たけれど、一度だって亮ちゃんが手を抜いたことはない。本当に、ただの一度も。だから私は錦戸亮というアイドルが好きだった。それはとても幸せだった。

 

アイドルとして、たくさんの我慢をしたと思う。たくさんの言葉を飲み込んで、たくさんのものを手放した。だけど錦戸亮という人間が本来そうではないことを、私はもう知ってしまっている。やりたいことを我慢したり、やりたくないことをやったり、そんな人間じゃないんだ。

 

裏切られただとか、嘘をつかれたなんて全く思わない。事後報告かよとは思うけれど、それも亮ちゃんらしいなと思っている。シンプルな亮ちゃんの言葉は、亮ちゃんらしい、亮ちゃんそのもののような言葉だった。多分これからも亮ちゃんの口からこれ以上の言葉が出ることはない。それでいいんだ。それが私の好きになった錦戸亮だから。

 

錦戸亮というアイドルと一緒に歳を重ねた。その長い長い時間の中で、私は何度亮ちゃんに助けられただろう。楽しいという気持ちを、嬉しいという気持ちを、何度教えてもらっただろう。だからもうありがとうしかないんだ。それ以外、本当にない。亮ちゃんありがとう。亮ちゃんが自分の人生を捧げて私達に見せてくれたものを、私は絶対に忘れない。

 

こんな風にたくさんの別れを経験して、たくさんの苦い思いをして、それでも私は生まれ変わってもまた関ジャニ∞を好きになりたい。だからもし欲張りなことを言ってもいいなら、いつかまた亮ちゃんが、生まれ変わっても関ジャニ∞になりたいと思ってくれたら嬉しい。

 

関ジャニ∞は8人だ。何人で活動していたって、関ジャニ∞は8人だ。だから寂しくない。そこに想いはある。絶対に。

 

関ジャニ∞は2度目の47都道府県ツアーを行う。涙が出た。亮ちゃんの脱退を知っても泣かなかったけれど、関ジャニ∞5人の心意気に涙が出た。関ジャニ∞は戻るんだ。自分達の原点に。あの頃よりももっともっと忙しく、もっともっとおじさんになった5人の身体が心配だけど、全力で挑んでくれるはず。必ず走り切ってくれるはず。大丈夫、私達がついてる。

 

関ジャニ∞はこんなことじゃ終わらない。関ジャニ∞は強いから。当たり前だ。私達がついてる。関ジャニ∞を弱くしたりしない。大好きな亮ちゃんだけど、これからはライバルだ。絶対に負けない。絶対に関ジャニ∞をもっと強くする。関ジャニ∞を脱退したことを、永遠に後悔しやがれ。

 

すばるも内くんも亮ちゃんも、関ジャニ∞を脱退したことを後悔して、それでも今も悪くないと、どうか笑っていてくれ。幸せでいてくれ。自分の人生を愛してくれ。そして関ジャニ∞関ジャニ∞らしく、ただ前だけを向いて走ってくれ。私も一緒に走るから。それだけが、私の今の願いだ。納得し切れない穴をずっと抱えながら、それでも私は大好きな8人の幸せを願わずにはいられない。

 

亮ちゃん、本当にありがとう。15年間本当に頑張ったね。頑張ってくれてありがとう。亮ちゃんのこれからにたくさんの幸せが待っていますように。亮ちゃんが亮ちゃんらしくいられますように。

 

亮ちゃん、笑ってね。

 

私は、錦戸亮が大好きだ。

偉大なる父へ

ジャニーズが好きだ。ジャニーさんが作り出す、トンチキだけど愛と熱に溢れた世界が好きだ。私にはジャニーズ以外の趣味は全くと言っていいほどない。お洋服も好きだし、コスメも好きだし、いろんなことに興味がある方だとは思うけれど、こんなにも心躍るものは他にはない。ステージだけが持つ生の熱を心から愛しているし、その一瞬の煌めきを観る為だけに、1人で新幹線に乗って大阪から東京まで行ったりもする。

 

私にたくさんの楽しさと喜びと、夢と愛と勇気をくれたジャニーさんがいなくなった。私は会ったこともない一会社の社長を思って涙を流した。どうか、どうか、ゆっくり安らかに眠ってほしいと祈った。

 

息子達から語られるジャニーさんは本当に父親のようで、何人もいる息子達全員が「自分とジャニーさん」を持っていた。私が勤める会社は社長との距離は近い方で、「社長がどのような人か」ということは言える。もちろん仕事の上で、という意味でだけど。だけど「私と社長」を語るエピソードなんてそうないし、私は社長を父だとも思えない。そう考えただけでも、ジャニーさんがいかに人を大切にしていたかがわかる。

 

おかしな言い方かもしれないけれど、息子たちからの追悼文を読んだり、家族葬での集合写真を見たときに、ジャニーさんがめちゃくちゃ羨ましくなった。だって、人は死ぬから。それは避けることができないし、死ななかった人はいないし、これから死なない人はいない。だけどあんな風に大切な人達に見守られながら死ねる人は、きっとそんなに多いわけではない。

 

私の父が3年前に亡くなったとき、家族はもちろん親戚も集まって最期を迎えることができた。私はそのことを、父が今まで懸命に生きてきたことへの、最高のご褒美だと思った。みんなが涙を流して、悲しんで、それでもその頑張りを、人生を讃えた。人を大切に生きた人にだけ与えられる最期だと思った。

 

私は今、同じような気持ちでジャニーさんの死を考えている。生きたようにしか人は死ねない。息子達の悲しみもやるせなさも、感謝も決意も、全部ジャニーさんの生き様でしかない。

 

ジャニーズのアイドルが語るジャニーさんが大好きだ。会ったこともないのに、勝手に遠くに住んでるおじいちゃんかのような、確かな人格がジャニヲタの中にある。アイドル達が愛を持って語るジャニーさんが、私達ヲタクの中に生きるジャニーさんそのものだ。だからきっとジャニーさんは死なないし、私の中からいなくなることはない。

 

私はこれからもきっとジャニーさんが作った世界で、喜んだり勇気をもらったりする。キラキラしていて、だけど泥臭くて、人間だけが持つ熱に何度でも力をもらう。そうやって、人の意思は生き続ける。

 

エンターテイメントの力を信じて、それが許される平和と希望を願って、私も前に進む。私なんてただのヲタクに過ぎないけれど、生きてる限り人は自分の人生をShow must go onしなければいけない。それを教えてくれたのも、ジャニーズの舞台が持つ熱だ。ジャニーさんが息子達に伝え続けたことだ。やっぱり、意思は死なない。もっと大きく、強く、繋がり続ける。

 

いつまでも私が愛するあなたの息子達を見守っていてほしい。良い席用意してほしがりなヲタクだけど、ジャニーさんには一番良い席を譲るよ。でもジャニーさんのことだから、僕はいいから1人でも多くの人に観てもらってよ!って言うかな?

 

ジャニーさんがジャニーズを作ったから、ジャニーさんが一人一人の息子を信じ、愛したから生まれたものがたくさんある。私はそれが大好きだから、本当に感謝しても感謝しきれない。私にジャニーズがなかったらと考えると、本当につまらない人生だったように思うから。だから本当にジャニーさんに感謝している。

 

私の愛する人達の、愛する父。私にたくさんのことを与えてくれた偉大な人。私も息子達と同じ言葉を贈りたい。

 

ジャニーさんありがとう。愛しています。

 

心よりご冥福をお祈り致します。

 

#「迷い」と「決断」

今までの私の人生において、大きな決断をしたと言い切れることは、はっきり言えば一度もない。もちろん、その時その時で様々なことを考えてきたはずだ。考えて、自分なりの結論を出してきたはずだ。だけど結婚も出産も、上京も転職もしていない私からすると、胸を張って「こう決断しました」と言えることがないのだ。

 

去年の9月、入社6年目にして店長になった。それからというものの、毎日胃の痛い日々を送っている。どうしたって売り上げが伸びない。スタッフをうまく指導できない。何を言ったって伝わった手応えはなく、実際に何も変わっていない。私も私で、そんな状況を打破する一手を持たない。経験も知恵も少ない私は、ほとほと途方にくれている。

 

店長になって2ヶ月ほど経ったとき、身体が悲鳴をあげた。吐き気、めまい、耳鳴り、胃痛、酸欠、不調はあげればキリがない。まるで世界の終わりかのような顔をして帰宅する為、家族からも「もう仕事辞めたら?」と言われる始末。私の頭の中も「辞めたい」でいっぱいになり、ことあるごとに「辞めたい」と口にしていた。

 

それでも私は仕事を辞めなかった。辞めるという決断ができなかった。続けると決断したと言うと聞こえはいいが、これは決してそうではない。何も決められていないだけだ。そしてそのことを、少し恥ずかしく思ってもいる。

 

仕事を辞めない理由はたくさんある。この年齢での転職は厳しいだろうかとか、お給料は減るだろうかとか、そもそも自分に何ができるだろうかとか。私はあまりに臆病で、ヘタレで、文句ばっかり言いながら何も行動を起こせない。自分で自分の人生を変えることができない。ダサい。ダサすぎる。

 

辞めたいと思っているにも関わらず、決心がつかないかっこ悪い自分、そう自分を思うようになり始めた頃、本当に何も決められなくなった。自分で自分を追い詰めて、頭が働かなくなった。頭が働かないから、何も判断できない。判断できないから行動できない。行動しないから結果は出ない。結果が出ないからまた自信をなくす。スタッフの小さなミスに苛立ち、だけど注意する気力もない。悪循環だった。

 

そんな時、ささやかだけど、このままではダメだと、変わらないといけないと痛烈に思う出来事があった。ビールが美味しくないのだ。私は労働後のビールを何よりも愛している。今日は頑張ったぞ!と思える日のビールは、本当に美味しい。疲れた体に染み渡るアルコール。そんな大好きなビールが、ただの苦いだけの液体に変わった。心が疲れてばかりで、脳も身体も疲れてないんだと思った。私はやり切っていない。ただ時間が過ぎるのをじっと待っているだけだ。傷つかない為に、失敗しない為に、たくさんの問題を後回しにして余力を残している。頑張った!と言い切れない。それは、他のどんなことよりもかっこ悪いことなんじゃないだろうか。

 

人生を変えるような大きな決断は、きっと私にはできない。私にできることは今を、今日を、明日を、できる限り最善にする為の決断だ。

 

体調を崩しても現状を変えようとしなかった自分が、ビールを美味しく飲みたいという理由で変わらないといけないと思うなんて、なんて単純なんだと呆れてしまうけれど、私らしくて悪くない。何だか少しだけ楽しい気持ちになれた。

 

変えていこうと決めても、何から手をつけていいかわからなかった。今まで後回しにしていた問題は山積みだ。だけど、とりあえず何でもやってみようと思った。

 

まず手始めに、店内の展開を大きく変更した。今までこれがベストだと思っていたことを一度取っ払い、0から考え直した。全く景色の変わった店内を見渡したとき、私はほんとにちょっとだけ泣きそうになった。まだできることがある。きっと、まだまだある。それが正解かどうかなんてわからない。実際、それで売り上げが伸びたわけでもなければ、入店が増えたわけでもない。だけどまだまだ可能性があるんだと思えたことが、本当に嬉しかった。希望だ、と思った。その日のビールは、美味しかった。

 

次に、注意は必ずその時に直接本人に、と決めた。こんなことを言うと気を悪くするだろうか?変な空気になるだろうか?と遠慮ばかりしていたけれど、言うべきことはきちんと言うという、当たり前のことをきちんとしようと決めた。だけど実際には、そんなにかっこよくはいかない。何と言えば伝わるか、きちんと理解してもらえるか、常に迷いながら言葉を選んでいる。伝わっていないなと思うこともあるし、あの子にはこっちやったか!失敗したー!と思うことも多々ある。こんなことを言うと嫌がられるだろうななんて思うと、伝えることさえ躊躇してしまうこともある。だけど迷いながらでも、自分に喝を入れながら相手と向き合う。疲れるけれど、それでもビールは美味しい。頑張った!と自分で自分を褒めてあげられる瞬間が、私は嫌いじゃない。

 

何が正しいのかなんて、私にはわからない。選択肢はたくさんあって、可能性もたくさんある。選んだ方が間違いだったこともある。それでも私は正解を見つけたい。正解じゃなくたって、正解に近づきたい。まるで的外れであったとしても、的外れだということを知りたい。その為に迷って、考えて、決めたい。

 

まだ店長一年目。まだまだひよっこである。こんな悩みも迷いも序の口。きっとこれからも問題は起こり続けて、そのたびに逃げ出したくもなると思う。「辞めたい」と思う日もあるだろう。それでも私は、その瞬間をより良くする可能性を捨てたくない。悩んで、迷って、怖くなって、それでも小さな勇気を持って決断したい。正解を求めることを諦めたくない。

 

今のところ、人生における大きなライフイベントが起こりそうな予感はない。相変わらず今の会社で働くだろうし、結婚も出産も残念ながら当分ないだろう。一世一代の決断はまだまだ先になりそうだ。それでも日々働くことは迷いの連続で、常に決断を迫られている。仕事は難しい。だけど、だからこそ楽しい。

 

今笑う為に、今日をより良くする為に、明日に希望を持てるように、私は迷い続けると決めた。今日もビールが美味しい。

#わたしの転機

大学生の頃の私は、まるで人生を舐めていた。就職活動もそれなりにし、内定も一社いただいたにも関わらず、新卒で就職する道を選ばなかった。働きたいと思えなかった。当時お付き合いをしていた人とそのうち結婚したらいい、必死に働く必要なんてない、と本気で思っていた。両親も健在で、甘えてしまえる環境だったことも大きいと思う。

 

それからはアルバイトを何個かしてみたり、資格の勉強をしてみたりもした。その間に大学生の頃にお付き合いをしていた方とも別れ、そろそろ働かないとな、なんてぼんやりと考えるようになった。

 

大学を卒業して1年ちょっと経った頃、今の会社で働き出した。アパレルの販売の仕事なのだが、最初はフルタイムのアルバイトとして働き出した。私はこの会社に入れたことを、本当に人生における一番のラッキーだったと思っている。最初に配属された店舗が、とても居心地の良い店舗だった。店長は優しく親身で、私の良いところをたくさん見つけて、引き出してくださった。先輩方も気さくで、仕事以外にもプライベートの相談をしたり、趣味の話をしたり、本当に楽しく働かせてもらった。販売の仕事も、意外と自分に合っていることがわかった。売上の予算が高ければ燃えるし、忙しいときほど頑張れてしまうタイプだということがわかった。自分の接客でお客様が満足してくださることが嬉しかった。私を目当てに来てくださるお客様がいることがとても嬉しく、その関わりは私のやりがいそのものだった。

 

働き出して1年経った頃、店長やマネージャーから「そろそろ社員に切り替えてはどうか」という話をいただいた。だけど私はそれを断っていた。まだどこか自分が腰を据えて働くことに、決心がついていなかった。責任が増えることが嫌だったのかもしれない。楽しい仕事が楽しくなくなることが嫌だったのかもしれない。それに、私が社員かアルバイトかはお客様には関係がない。どんな立場であっても私がお客様に対してやることは変わらない。だからこのままでいいと思っていた。もちろんそれは本心だ。でもそのどれもが言い訳で、ただただ私は甘かった。いつまでも子どもみたいに、いつか結婚をして誰かに幸せにしてもらうことを信じていた。そして今はそれまでの繋ぎの時間であるように思っていたのだと思う。

 

そんな時、父の癌が発覚した。肺癌のステージ3だった。もう手術はできなかった。

 

私は幼い頃から、父が大好きだった。今でも父はこの世で一番かっこいいと思っている。物知りで知的好奇心が旺盛な人だった。私の映画好きも本好きも父譲りだ。中学生の頃、毎週のように父と二人で映画を観に行った。たくさんのことを教えてくれた。私が慣れない場所に行くときは、車で送り迎えをしてくれた。本当に優しくて愛情深い人だった。たくさんご飯を食べて、たくさんお酒を飲む人だった。お酒を飲むと上機嫌になって娘たちにハグをしてきた。可愛らしくて、お茶目な人だった。それでも仕事に対しては厳しく真面目な人だった。本当に働き者だった。私は父の全てを尊敬していた。

 

父の癌がわかったとき、私はもう生きていけないと思った。父が死んだら一緒に死のうと思った。父のそばにいるために、仕事も辞めようと思った。

 

父と母と並んで癌の宣告を受けた。涙が止まらなかった。そのとき、泣いてばかりの私を抱きしめて父はこう言った。「アーちゃんはお父さんの宝やからな」と。あのとき一番泣きたかったはずの父が、涙も見せずにこう言ったこと。私はこのことだけは、これから何があっても絶対に忘れてはいけないと思っている。

 

父の看病をしながら働く日々が始まった。シフトを全部遅番にしてもらい、父のお見舞いに行ってから仕事に行くようにした。体力的にキツイこともあったけれど、父が笑顔で待っててくれることが私の力になっていた。

 

父は本当に立派だった。泣き言や愚痴も言わず、同室の人と仲良くお喋りをしたり、看護婦さんを笑わせたりしていた。お医者様の言うことはよく聞いたし、常に敬意を払って接していた。母を始めとした私たち家族にも、感謝をしっかりと伝えてくれていた。最期の瞬間まで父は父を貫き通した。そしてその立派な姿を見ながら、私はこの人の宝として相応しい人間なのか?と考えるようになった。

 

私はこの人に恥じない人間になりたい。この人の宝として胸を張れるようになりたい。そして、私はこの会社で社員として働くことに決めた。

 

アルバイトがいけないなんて、これっぽっちも思わない。社員だから立派だとか偉いだなんて、全くもって思っていない。ただ少しは父を安心させられるのではないかと思っただけのことである。そして父は喜んでくれた。本当に安心したように笑ってくれた。幼い頃から父に心配ばかりかけていた私が、初めて父を安心させることができた。少しだけ大人になれた気がした。私の大きな転機だった。

 

それから半年も経たずして、父は61歳で亡くなった。悲しくて苦しくて、自分の一部がもぎ取られるような気分だった。どれだけ泣いても涙が出た。それでも私は5日間お休みをいただき、すぐに店頭業務に復帰した。店頭に立つと止まらなかった涙が止まった。仕事が私を苦しみから救ってくれた。どん底の私を仕事が支えてくれた。

 

父が亡くなってもうすぐ2年半が経つ。私は当時働いていたお店を異動になった。今の店舗では副店長をしている。責任は確かに重い。だけど昔では感じられなかったやりがいを感じている。もっと良い店にしたい、売上ももっと上げたい、そして後輩たちにイキイキと働いてほしい。悩みは尽きない。愚痴も絶えない。それでも私はこの仕事が好きだ。あの時覚悟を決めたこと、覚悟を決めたからこそ見えるようになった景色、責任と共に自分に与えられたやりがいが、今の私を支えてくれている。そして何より、私には父と同じ働き者の血が流れている。苦しくても怖くても周りを照らし続けた、太陽のような父の血が流れている。だから、大丈夫だと心から信じることができる。

 

結局私は、亡くなった後も父に教えられ、支えられている。あのとき、ただ父を喜ばせたいと思ったこと。それが今の私を作っている。そしてそれは私が働く上での指針にもなっている。「目の前にいる人を喜ばせる」その先にあるものがまた私にとって、新たなステップに進む転機となるような出来事であればいいなと思っている。