魔法はとけない

君と同じ時代に生まれてきた僕らはツイてる

担降りしたい夏

担降りしたい。定期的に思うことではある。唐突に思うわけではなく、じんわりと「担降りしたいなぁ」と思うのだ。私の担当は関ジャニ∞錦戸亮ちゃんだ。亮ちゃんを嫌いになることはない。多分ずっと死ぬまで好きで、特別な存在。だけどその「特別な存在」であるという事実が、自分を縛り付けているように感じることがある。

 

そもそも私は担当という制度がよくわからないのだ。冷静に考えたら担当って何?この人が一番好きというのはもちろんあるんだろうけれど、その人だけを応援することを約束させられたみたいなこの言葉が、私はあまり好きではない。あの人もこの人も好きでいいやんと思っているし、実際に私はそうだ。そんな彼氏や旦那でもないのに、一途であることが大切なんだろうか?

 

結局担当というのは、ジャニヲタをする上でのアイデンティティであり、名刺でしかない。だからこそ、担当はいないですというアイデンティティがあったっていいと思うけれど。かくいう私も未だに聞かれると錦戸担ですと答えるのだから、ジャニヲタの担当制度は根深い。

 

私にとって担当というものは、錦戸亮そのものだった。それ以外の認識を持ったことがなかった。だけど担当ってどういうことを言うのだろうと考えたとき、私が出した一つの結論は「その人の夢が叶う瞬間を見たいと思える人」だった。その意味で言うと、私にとって錦戸亮はもう担当には当たらない。私は錦戸亮というアイドルの夢が叶う瞬間をたくさん見てきた。見尽くしたとも言えるほどに。長い時間をかけて、たくさんの思い出を共有し、たくさんの喜びや少しの失望や、笑顔や涙と一緒に錦戸亮というアイドルを応援してきた。そのことにひと段落ついたような気持ちがここ数年あった。

 

関ジャニ∞というグループが、錦戸亮というアイドルが、これ以上先に進めないと思っているわけではない。もっと大きな夢を見させてくれると信じている。だけど昔感じていたようなわくわくした気持ちや興奮はもう訪れないだろう。もっと深い愛で、もっと客観的に彼らを応援できる。今はそう思う。

 

私は以前このブログで、「最後の一人になったって私は彼らを愛している」と書いた。その気持ちそのままなんだ。本当に、何があったって、何が起こったって、彼らを心から愛している。だけど、だからこそ、もう彼らに何かを求めることはない。彼らが選ぶ道を私は応援する。それが私の求める形じゃなかったとしても、彼らが望むものがそこにあるなら、私は何もかも受け入れたいと思っている。

 

彼らがデビューする前、私はどうして彼らがデビューできないのかとモヤモヤしていた。亮ちゃんと内くんだけがNEWSとしてデビューしたときは本当に苦しかった。彼らがデビューしたときは本当に嬉しかった。だけどNEWSと掛け持ちなことが納得できなかった。いつまでもコミックソングしか歌わせてもらえないことが悔しかった。彼らがバンドとしてCDを発売できたときは本当に嬉しかった。彼らの努力や信念が報われたと思った。バンドにこだわるあまり踊らなくなったことが不満だった。アイドルを好きになったはずなのに彼らはもうアイドルじゃないと思った。

 

私は勝手なファンだった。好きという気持ちを免罪符にして、自分の望む関ジャニ∞を彼らに求めてきた。一つ願いが叶えばその喜びを忘れて、新しい願いを持ち続けた。彼らが大きくなればなるほど、私は欲張りになっていった。今の関ジャニ∞に不満があるわけではない。ただ私はもっとかっこいい関ジャニ∞を知っている。だからそれをきちんと大衆に向けて表現してほしかった。本当に愛ゆえだと思う。だけど、それは結局私のエゴでしかない。

 

それが悪いことだとは思わない。そういったファンの要望がなくなることはアイドルとして終わりを意味すると思うし、結局私たちは商品と消費者なのだから、需要と供給のバランスを擦り合わすのは当然のことだ。ただ私は関ジャニ∞にもうそういったことを求めることができない。簡単に言うと、私は彼らに必死になれない。それは関ジャニ∞との別れを意味すると思っていた。だから考えないようにしていた。だけど今年に入ってからの関ジャニ∞は本当にたくさんのことが起こった。亮ちゃん自身にもたくさんのことが起こった。その中で向き合わざるを得なくなった。そしていざ向き合ってみると、それは全然別れを意味していなかった。新しい関係性の構築でしかなかった。そして改めて私は関ジャニ∞が好きなのだと気づいた。錦戸亮がいるから関ジャニ∞が好きなのではなく、関ジャニ∞にいる錦戸亮が好きなんだ。

 

例えるのが難しいのだけれど、私はずっと錦戸亮というアイドルと併走してる気持ちだった。だけど今は給水ポイントで待つ人のような気持ちでいる。一緒に走って一挙手一投足を見守ることはもうきっとできない。だけどいつでも気にかけているし、純粋に応援している。もっと速く走れるように、もっと遠くまで行けるように、しんどくなったときはいつでも水を差し出したい。それは彼らが私にしてくれたことだ。彼らは私がしんどいときに手を握ってくれるわけではない。背中をさすってくれるわけではない。だけどステージに立つという形で私に水を差し出してくれた。そのポイントにまで辿り着ければ、私はまた走り出すことができた。それが関ジャニ∞と私の関係性なのだと思う。自分の理想の枠からはみ出していく関ジャニ∞にヤキモキすることなく、今は心から楽しむことができる。それが何よりも嬉しい。

 

だけどここまで書いておきながら、錦戸亮を超える担当に出会えているわけではない。15年間錦戸亮というアイドルを見続けてきた年月を考えると、そんな風に思えるアイドルに出会えるのだろうかと思ってしまう。多分私には自信がない。亮ちゃん以外の誰かに対して、また同じぐらいの年月をかけて好きでいる自信、好きでい続ける自信がない。

 

だけどそこで冒頭に戻る。そんな自信、必要?趣味以上でも以下でもないアイドルという存在。その時一番好きだと思える存在を応援すればいい。担当だと言ってしまえばいい。明日はわからなくても、今この瞬間この人の夢が叶うことを願ってやまない人。それでいい。私はそういう存在に出会いたい。

 

私はYou & J世代なので、若いジャニーズをあまり見る機会がなかったけれど、最近は若い子たちが可愛くて仕方ない。成長を見守りたくなる。母性本能が爆発している。彼らには夢があって、がむしゃらで、荒削りで、だけど美しい。そういう姿を見ると、すごく応援したくなる。これがアイドルを応援する醍醐味だよなと思う。私は多分参加したいんだ。一緒に泣いたり笑ったり、もちろん勝手にだけど心配したりもしたいんだ。彼らの輝きが増していく瞬間が見たいんだ。

 

もしかしたらもうそういう人に出会っているかもしれない。まだ出会っていない誰かかもしれない。もしかしたらやっぱり亮ちゃんしかない!と思うかもしれない。だけどこの人だと思える人を見つけることができたら、迷わず、臆さず飛び込んでみようと思う。

 

15年間に及ぶジャニヲタ人生、初めての担当不在。新しい担当がいない場合も担降りというのだろうか?わからない。だけどこれはこれで楽しい気もしている。相変わらず関ジャニ∞錦戸亮ちゃんも大好きだ。私を作ってくれた人達。それは絶対に変わらない。そしてGR8EST大阪公演をとても楽しみにしている。実は個人的に仕事で大きな転機を迎えている。これは私の給水所になるはずだ。彼らがくれる生命力に満ち溢れた水。それはきっとまた私に走り出す力をくれる。

 

錦戸亮というアイドルを愛さないという選択ではない。錦戸亮というアイドルをもっと自由に温かく優しく見守る為の選択。これが私が出した答え。